第7条 人各任あり、掌ること濫にすべからず
第7条 人にはそれぞれ役割があるから、いい加減にしたらあかん
七に曰く。人各任有り。掌ること濫りにすべからず。それ賢哲の官に任ずれば、頌聲則ち起こる。姦者の官に任ずれば、禍亂則ち繁し。世に生知少なし。念を剋すれば聖と作る。事大小と無し。人を得れば則ち治まる。時急緩と無し。賢に遇えば則ち寛なり。これに因りて國家永久にして、社稷危き無し。故に古の聖王は、官の爲に人を求めて、人の爲に官を求めず。
第七条はな、「人はそれぞれに任がある、掌ることを濫りにすべからず」っちゅうことやねん。これは、みんなそれぞれに役割があるんやから、その担当をいい加減にしたらあかん、っちゅう意味や。
賢くて徳のある人が役人になったら、みんなから褒められる声が聞こえてくる。でも、悪い心を持った人が役人になったら、災いや乱れがどんどん増えてしまうんや。
世の中には、生まれつき何でも知ってる人なんて、そんなにおらへん。でも、一生懸命に心を込めて努力したら、聖人みたいになることもできるんやで。仕事は大きいことも小さいことも、ちゃんとした人がやったらうまくいくし、忙しい時でものんびりした時でも、優秀な人がおったら安心や。
そやから、国が長く続いて、国家が危険にならんようにするためには、役職に就く人をちゃんと選ばなあかん。昔の聖人みたいな王様は、役職のために人を探したんであって、人のために役職を作ったんやないんや。
ワンポイント解説
第七条は人材配置と組織管理の重要性を論じた条文で、古代における人事行政の基本原則を確立している。「人各有任」(人それぞれに任がある)は職務の専門性と責任の明確化を意味し、現代の職務分掌の概念に通じる。
条文の核心は能力主義に基づく人事制度の確立である。「賢哲任官」と「姦者任官」の対比は、人事の成否が組織全体に与える影響の大きさを示している。特に「世少生知、剋念作聖」(世に生知は少なく、念を剋めば聖となす)は、生得的能力よりも後天的努力と修養を重視する思想を表現している。これは当時の身分制社会において画期的な人材観であった。
「為官以求人、不為人求官」(官のために人を求め、人のために官を求めず)は、現代の公務員制度における職務本位制(merit system)の原型を示している。この原則は、縁故主義やポピュリズムを排除し、公正で効率的な行政運営を目指すものである。現代の人事管理において重要視される適材適所の配置、能力評価に基づく昇進、職務に応じた権限と責任の配分といった概念の萌芽がここに見られる。また、組織の継続性(国家永久、社稷無危)を人材配置の最終目標とする視点は、現代の組織論における持続可能経営の理念と共通している。
この条文は、現代でいう「適材適所」の大切さを教えてくれてるんや。太子さんは、人事がどれだけ大事かっちゅうことを、よう分かってはったんやな。
「世少生知、剋念作聖」っちゅう部分は、特に印象深いやろ。「生まれつき何でも知ってる人は少ない、でも努力したら聖人になれる」っちゅう意味や。これは、血筋や生まれよりも、本人の努力や能力を大切にしようっちゅう、とても進歩的な考え方やと思わへん?
最後の「為官以求人、不為人求官」っちゅうのは、今でも政治や会社で問題になることやろ。役職は、その仕事に適した人を探すためにあるんであって、誰かを優遇するために作るもんやない、っちゅうことや。太子さんは1400年前に、もう現代の人事管理の基本を理解してはったんやなあ。
簡単操作