第81条第81条
信託統治協定は、各場合において、信託統治地域の施政を行うについての条件を含んで、かつ、信託統治地域の施政を行う当局を指定せなあかんねん。この当局は、以下「施政権者」って言うんやけど、1つもしくは2つ以上の国、またはこの機構自身であることができるんやで。
信託統治協定に何を書かなあかんかっていう、いわば必須事項を決めてるんやで。信託統治協定っていうのは第79条で出てきた協定のことやけど、その中身はどうするんかっていうのを、ここで規定してるわけやね。
まず1つ目はな、「施政を行うについての条件」を書かなあかんっていうことや。これは要するに、「どうやって統治するん?」「何に気をつけなあかんの?」「どんなことしたらあかんの?」っていう、統治のルールを明確にせなあかんっていうことやねん。例えばな、住民の教育をどう進めるかとか、経済発展をどう支援するかとか、いつ頃独立させる目標を持つかとか、そういう具体的な条件を協定に書き込むわけや。
2つ目はな、「施政権者」を指定せなあかん、っていうことやで。施政権者っていうのは、実際に統治を担当する主体のことや。誰がその地域を管理して、住民の面倒を見て、独立に向けた準備を進めるんかっていう、責任者を明確にするわけやね。
ここで面白いのはな、施政権者の選択肢が3つあるっていう点なんや。1つ目は「1つの国」、つまり単独の国が統治するパターン。これが一番多かったパターンで、例えばアメリカが南洋諸島を、イタリアがソマリアを信託統治した、みたいなケースやね。2つ目は「2つ以上の国」、つまり複数の国が共同で統治するパターン。これは実際にはほとんど使われへんかったけど、理論上は可能やねん。
そして3つ目がユニークでな、「この機構自身」、つまり国連自身が直接統治するっていうパターンなんや。これも実際には実現せんかったけど、憲章を作った時には、国連が直接統治することも想定してたわけやね。もし国連が直接統治してたら、どんな感じになってたんやろうなって考えると、ちょっと興味深いやろ。
この条文の背景にはな、第一次世界大戦後の委任統治制度の反省があるんや。委任統治では、統治する国の権限が曖昧で、国際連盟の監督も十分やなかった部分があったんやね。せやから、国連の信託統治制度では、協定で施政の条件と責任者をはっきりさせて、透明性と説明責任を高めようとしたわけや。
実際の歴史を見るとな、信託統治地域のほとんどは1960年代から1970年代にかけて独立を達成して、1994年にパラオが独立して、信託統治制度はすべて終了したんやで。この第81条で決められた協定の枠組みがあったおかげで、各地域が計画的に独立に向けて準備を進めることができた、って言えるかもしれへんね。
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